草堂の如意輪観音を訪ねて:長野市信更・古藤・愛宕堂参道

                                                            (16.09再UP)

                          


長野市信更・古藤愛宕堂の如意輪観音、小高い丘のこの場所から200年、集落の盛衰をを見続けて来た。(石仏には文化元年6月の刻印がある)    集落から草堂へ登って行く道、木の間に赤い屋根の草堂が見える。
像は台座付き高さ121センチの丸彫り、「長野市の石造像文化財」第3集に”草堂の道端にひっそりたつ無心な姿の中に、いいしれぬほのぼのとした色香をたたえています”と、紹介されている。 見る角度で微妙に表情が変わる。じっとみていてあきない。時にはなまめかしささえも...。
参道に並ぶ六地蔵。こちらの像もなかなか秀逸だ。如意輪観音はこの短い参道の奥に安置されている。 草堂の構内には、あちこちに草に埋もれて石仏がある。石像も300年も経つと、こけと風化で印字も判読不可能になり、やがて石でも朽ち果てる。

                                                     (当初取材UPは、2001.7) 
  

  草堂の如意輪観音をたづねて
  片膝を立て、やや右に傾けた頬に右手をあてて、いわゆる思惟(しい)の形をとるという如意輪(にょいりん)観音。

 「長野市の石造文化財」という本の記述に、”ほどよい大きさで、草堂(そうどう)の道端にひっそりとたつ無心な姿の中に、言いしれぬほのぼのとした色香をたたえています”と、紹介されていたのが長く印象に残っていて、ぜひ自分の目で確かめたいと思っていた。なお「長野市の石造文化財」は、長野市の教育委員会が市内の路傍や寺境内にある石仏・石神・石塔など石造文化財を「郷土を知る会」という団体に委嘱し、悉皆(しっかい)調査し、まとめたものである。

 それから何年か、ある年の夏、ようやくその思いを達したのだった。同じ市内といっても、遠い山間僻地、地図を片手に、国道からはだいぶ山手に入りこんだ集落を、古老にききながらやっと目指す草堂(そうどう)へたどりついた。

 道路から草むす石段を登り、六地蔵の出迎えを受け、参道の突き当たりに像を見つけ、絡みついていた蔓草を取り除いて、やっと対面したときは、ちょっとした感動ものであった。

 素朴だが、なんと美しいのだろう。いうにいわれない引き込まれる魅力がある。こんな山奥のお堂の片隅におられるのはもったいないくらい。角度によって微妙に表情が変わる。なかなか去るに去りがたく一時間以上もさして広くもないお堂の構内を見てあるいたものだ。魅力に惹かれ、その後も何回か。

 松本に移り住むようになって、足が遠のいていたが、その草堂の如意輪観音を、久しぶりにこの夏も訪れたのである。観音さまは以前と同じように、同じ場所から集落を見下ろしていた。文化元年(1804)の刻印があるので、もう200年あまりもこの場所から集落や山野を眺め続けて来たのだろう。目にしてきた時代の移り変わりは、どんなものであったろう。

 夏の暑い日差しの中、村に人影は見えず蝉の鳴き声だけが響いていた。この石像は、長野市信更古藤地区、愛宕堂の参道にある。
                UNCLE  TELL

トップページへ
inserted by FC2 system