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 クラシック炉辺夜話         2021/9/01(毎月1日・15日発行)  
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  クラシックの音楽家や作品のエピソードを中心に読みものとしてもポピュラ
 ーな話題をお送りします
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    ほんとうは聞こえていたのか、ベートーヴェンの耳

 相当前のことになるが、江時久(えとき・ひさし)という人の「本当は聞こ
えていたベートーヴェンの耳」(NTT出版1999・出版年はかなり前だ
が、現在もネットで購入できる)という本を読んでびっくりもし、いささかシ
ョックを受けた。タイトルにも示したとおり、江時さんはベートーヴェンの耳
は、実は聞こえていたのではないかというのである。

 第九交響曲の演奏の時、ベートーヴェンは作曲者のプライドからか、正指揮
者とは別に壇上で指揮をとっていた。聴衆の万雷の拍手が、聴衆に背を向けて
指揮棒を振っていた彼にはわからなかった。みかねたアルト歌手のカロリーネ
・ウンガーがベートーヴェンの手を取ってそれを教えたという有名なエピソー
ドが伝わっている。江時さんはいうのである。背後からの聴衆の拍手は聞こえ
なかったが、オーケストラや合唱の音は聞こえていたのではないかと。

 補聴器をいろいろ使い、晩年、ベートーヴェンは話す相手の声が聞き取れず
筆談帳を使っていたのも事実だが、江時さんは、聴覚障害というのは多様で複
雑だから、オーケストラの音が聞こえて、拍手の音が聞こえないということは
ありうるという。

 ではどうして、江時さんはそんなことをいうのだろうか。文中にも対話のか
たちで書いているが、なんと--「それはね、ぼくの耳の具合と、ベートーヴ
ェンの耳の具合とが、まったく同じだと感じるからなんだ」というのである。

 江時さんは生まれつき難聴だった。少年時代は自由になど会話は出来なかっ
た。27歳のときに、手術で左耳が聞こえるようになった。そして、ベートー
ヴェンも自分と同じような難聴だったのだろうと推測する。

 ベートーヴェンの伝記を読むと「人の言葉」が聞こえないとこぼしているが
「ピアノの音」が聞こえないなんて一度もこぼしていないと指摘する。そして
このことは、この200年もの間、誰も考えなかったことだろうともいう。

 耳が聞こえない状態は「ろう」と「難聴」の二つがあり、「ろう」は失聴の
状態で、どうやっても人の言葉が聞こえない。「難聴」は大きな声だったり、
耳元で話しをすればなんとかなるなど、その程度は千差万別という。

 広くて静かな場所ではまるっきり聞こえなかったと江時さんは述懐してい
る。江時さんは、たまたま難聴に生まれ、現代の医療のおかげでそれが回復す
る奇跡の体験をした。人生の中で難聴者の体験と、ふつうに聞こえる社会人と
しての体験を二つを知ることが出来た。

 そしていう、”なぜベートーベヴェンを聞こえなくなった人と考えてしまう
かもわかるし、それがまちがいでもあることこともよくわかるんだと”。そし
てベートーヴェンの耳の疾患は、現代の医学では治ってしまうものかもしれな
いという。ベートーヴェンが今の世に生きていれば、「ハイリゲンシュタット
の遺書」など書く要はなかったかもしれないのだと..。
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       「安曇野(あづみの)通信」2021.09.01(毎月1・15日発行)
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  少年の日と野の果実・その4

 それでは少年の日、友と野や山を駆けずり回って食べた野の果実のいくつか
を続けて列記してみよう。今回は野の果実のほか、庭にあった果実のことも含
めて振り返ってみよう。

 「ヌルデ」、当時名前はわからなかった。多分この草木のことだろうがはっ
きりはしない。しょっぱすいっぱい実を少年たちは食べた。甘みのものが多い
野の果実のなか、塩味がなんともいえなかった。細かい集合果で表面に塩をふ
いている感じだった。ヌルデはウルシ科の植物。うるしと違いかぶれたりはし
ないらしい。

 「チガヤ」、これも当時は名前を知らなかった。何年か前、あるネットの掲
示板でのやりとりの中で、懐かしくも思い出したものである。ああ、それはチ
ガヤというものだったのかと納得。食べた感触だけが思い出に残っていたもの
である。チガヤ(茅)ススキと同じイネ科の仲間である。まだ外に出るか出な
いかの若いチガヤの穂は、ほのかな甘味があった。 

 「イタドリ」、スイコと同じように思い出される。イタドリ、スイコと同じ
タデ科、スイコより背(茎)が高い。イタドリの、春先に伸び出すタケノコ状
の赤い若芽を食べる。エンジ色の皮をむき、かじるとちょっとした酸味と甘味
があった。

 「庭梅」、「ゆすら梅」、かなり前だが、郊外の村道を走っていて遭遇し、
これもほんとうに懐かしくも思い出したものである。昔住んだ、松本市は入山
辺のおじさんの家の庭にあった。庭梅と名前がついているが、梅と同じバラ科
ではあるが、梅の一種、仲間というイメージではない。確か梅雨時、赤い直径
1センチ弱の実がなった。水分が多いが甘くおいしかった記憶がある。同じよ
うな赤い実がなる木にゆすら梅というのがある。区別がよくわからないがこち
らは庭桜ともいうらしい。

 「小柿(豆柿)」、別名を信濃柿というのでよその県にあるのかはわからな
い。以前、勤務先のあった長野市内のKビル近くの小路で見かけ、これも懐か
しさひとしおだった。字のとおり小柿、さくらんぼの二倍程度の大きさか。小
柿は未熟な間は渋味が強くて口に出来ないが、霜が降りる頃、黒紫色に熟すと
とても甘くそれはうまかった。種が多くて食べる部分は少ないが、ねっとりと
した甘さは他の柿に負けない、絶品だという人も。

 「コリンゴ」、これも松本の入山辺のおじさんの家にあり、コリンゴ、ワリ
ンゴと呼んでいた。コリンゴとはズミの別称というが、ワリンゴと呼ぶ日本在
来のりんご仲間なのか、種類はいまだもってわからない。これもさくらんぼの
2倍程度のミニリンゴだが、ふじと紅玉からの偶発実生から生まれたというア
ルプス乙女とは違う。なにしろアルプス乙女が出現する以前からあったのだか
ら。むろん、剪定などはせずなるだけなっていたが、野性的な味か、十分な甘
みもあり私は好きだった。

 「栃の実・カラタチの実」、栃の実は栃餅など知られるが、私の子供時代の
シーンでは特に食べるというものではなかった。栃の実をテカテカに磨き上げ
て、教室に持ってきては自慢してた子供のことを、うらやましげに眺めていた
ことを思い出す。カラタチの実は香りが良かった。なかなか実がなっていると
ころに出会わなったので、たまたま手に入れると宝物のようポケットに入れ持
ち歩いていた。一度がぶっとやったら猛烈に苦かった。(つづく)
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     「郷愁の食物誌」2021/08/25(毎月25日発行目途)

 なつかしき郷愁のたべものたちをこよなく愛おしむエッセイ。それはほの暗
いアセチレン灯の屋台で食べたの中華ソバであり、学校給食、少年の日、祭り
や縁日の綿菓子やニッキ菓子、学校帰り駄菓子屋にたむろして食べたクジ菓
子。そして野山をかけずり回ってむさぼった木の実の数々...。
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アイスキャンデーの夏

 アイスキャンデーといえば先ず思い出す光景。1950年代、小学校5年生
頃から中学生のころ、一家は長野市に住んでいた。感じとして時代、社会全体
はまだまだ貧しかった。

 そんな中で、朝夕は新聞を配り、昼間は城山公園でアイスキャンデーを売っ
たり、ボンボンを売ったり、夕方近くは納豆を自転車で売り歩いていたある中
年の男の人のことを思い出す。たまたま、城山公園などで出会うと、これしか
どうも脳がないもんでね--なんて頭をかいていた。

 松本では、アイスキャンデーを売る店はいくつもあったが、評判はスギヤと
いう店が一番だった。特にアズキアイスがうまかった。 暑い夏、おじいさん
や母に連れられて町におりてきたときなど、縄手通りのスギヤのアイスキャン
デーや氷水を食べるのがとりわけ楽しみだった。

 また三角ベースなどをやって、汗をかいた後のアイスキャンデーも格別だっ
たが。あのキャンディーのスギヤ、時代の流れで主力商品はアイスクリーム
へ、、しかし2012年店を閉じたようである。松本の人なら、知らない人が
ないくらい親しまれたスギヤのアイスキャンディとアイスクリームの味を懐か
しく思い出す人も多かろう。

 ところでアイスヤンデーといえばとっておきがある。同年代、古いネット友
人のキ-ポさんがアップしたものだが、その頃の情景が見事に描き出されてお
り、ご本人の了解も得ているので紹介しよう。
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 ---チリンチリン・・と昔の学校の小使いさん(公使さん)が始業の合図
にならしたような鐘を鳴らしてやってくる。この鐘の音を聞くと子供達が、汗
ばんだ手に小銭をにぎりしめて、あちこちから飛び出してくる。
 まっくろに日に焼けた麦わら帽子をかぶったおじさんが、自転車を止めては
後ろの荷台に積んであるところどころもう剥げた木箱の冷蔵庫の蓋を上げては
アイスキャンデーを取り出す。
 早く食べないと、溶けはじめるとバサッと落ちてしまい、べそをかいていた
小さい子もいたものだ。---
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 キーポさんの郷里は福島県と聞いたが、その頃は、日本全国どこでもこんな
風景がみられたものだ。--ところどころペンキの剥げた木製の冷蔵庫が積ん
であった--なんてところが、特に時代の感じが出ていていい。
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