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信州白馬の不思議霊空間・切久保の観音原 |
百八十七体の観音様が広場を囲む小さき霊場 |
(2016.10再編集)
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野辺の石仏、路傍の石神たち・3 信州白馬の観音原・1
松本平や安曇野では道祖神、それも双体道祖神がが多いことで全国的にも
知られ、先のNHK朝の連続ドラマ「おひさま」にも出てきたように、松本
平や安曇野を舞台にドラマの背景には良く登場するなど身近なもになってい
る。松本平や安曇野になぜ道祖神、それも双体道祖神がが多いかわからない
が、松本平や安曇野をはずれるとこれがぐっとすくなくなる。たとえば、北
の白馬や小谷に至るともう野辺の石仏は観音さまの世界(?)という感じだ。
ところで信州は昔から観音信仰が盛んな土地で、随所に百番観音が立てら
れ、ミニ霊場が作られたという。大町から仁科三湖を経て、佐野坂西国三十三番観
音、十王堂石仏群、観音原から小谷村へ入って前山の百体観音、大別当・小土
山・猫鼻の石仏群など塩の道千国街道沿いを中心に百体観音・馬頭観音等がふ
んだんに見受けられる。
松本から糸魚川へ抜ける国道148号線、白馬村もお隣の小谷村との境もじ
き近い岩岳の信号を西に折れてクルマで5分ほど、昔の塩の道・千国街道沿い
に、私が”信州白馬の不思議霊空間”と呼ぶ、切久保の観音原(かんのんば
ら)がある。一辺100mから150mほどの芝生の広場を取り囲んで、その四辺
に西国・坂東・秩父の百体観音と馬頭観音など187体が居並んでいる。江戸
時代後期、高遠の石工の作と伝えられている。
取材ではじめてここを訪れた30年以上も前以来、何度もここをたずねてい
るが、行くたびになんか不思議な感覚にとらわれる。どうしてこんなものがこ
こにあるのか、残っているのかともいぶかる。そして、私が訪れたときはたい
が い誰もいない。シーンと静寂が支配している。作られたのは江戸時代後期
と書いたが信仰の場といえ、200年あまり、同じ状態が保たれてきたのがお
どろきである。雑木林の中にぽっかりあいた空間である。今は広場の裏手など
には農家・民宿・ロッジなども出来ているが、設置された当時はきっと人家な
どは一軒もなかったのだろう。
西は西国三十三番、北は坂東三十三、南は秩父三十四、東は馬頭観音の合
わせて百八十七体の観音さまが広場を囲む。百体観音の信仰とは、西国、坂東、
秩父の各所を合わせて百とし、ここで祈ることにより、全てをお参りしたと同
じごりやくがあると考えられたものである。街道筋に寺院の境内に百体観音は
方々にあるが、ここのようにスクエアの周囲に観音像を並べたところは他にあ
るだろうか。神聖な場所だったのは間違いないだろうが、広場の空間の持つ意
味はなんどろう。江戸時代から明治時代、そして現代へ、村人の素朴な信仰の
対象であり、多くの旅人がここで休息し、険しく辛い行路の安全無事を祈った
のだろう。
UNCLE TELL
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野辺の石仏、路傍の石神たち・3 信州白馬の観音原・2
信州白馬の不思議霊空間、四辺に並ぶ187体の石仏、石仏は皆、丸彫りで
なく浮き彫り、高さは大きいものでも60cmくらいだろうか。高遠石工の作と伝わ
る。200年近い風雪を経て来た仏像は一つ一つ見ていると実に興味深
く、またなにか心暖かい。
千手観音と如意輪観音が多い。申し訳程度に千手が付いているもの、数多く
手が出ていろいろなものを掴んでいるものなど、千手の彫り方も実に多様だ。
背中に羽根を持つまるで天使のような千手観音に惹かれた。あどけない童女の
ような表情で頬杖をする如意輪観音。観音さまはすべて目を閉じていて、おだ
やかな表情。中には下の部分が土で汚れ、またツタや雑草がからんでいるもの
もある。
立像も座像もある。手を合わせ合掌する仏、片手に睡蓮などの花を持ち、片
手拝みの仏、顔つきの表情もそれぞれが皆違って面白い。幼女のような表情の
もの、ちょっと澄まし顔、ユーモラスを感じさせるもの、四角っぽい顔つき、
艶めかしさを感じるもの、下ぶくれの美人観音、また凛とした感じが伝わって
来るものなどさまざま。中でもなんとも気品あるかわいくも美しい表情の如意
輪観音が強く印象に残った。
波間にいる二人を千手観音が踏みつけいるような特異な像もあった。200
年近い風雪に洗われたにしては彫りがしっかり残っているものが多いが、よほ
どしっかり固い石材なのだろう。それでもせっかくのいいお顔の目・鼻・口の
部分にコケ・カビが来ているものもあり、これからの保存の課題だろう。
文章にどれほど書いても石仏・石像のすばらしさをなかなか伝えにくいが、
読者のみなさんも機会があったらぜひ現場を訪れてみてほしい。私もホームペ
ージでも紹介しているので参考にされたい。
ttp://uncletell.web.fc2.com/kan1610.html
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