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  アンクルのクラシック夜話11       2000/10/06(毎週金曜日発行)   
                       uncletell@lycos.ne.jp
 
  クラシックの音楽家や作品のエピソードを中心に読みものとしても
  ポピュラーな話題をお送りします
   
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 他人の奥さんを散歩に誘ったベートーベン
 
 ベートーベンは、ラズモフスキー伯爵邸で弦楽四重奏曲の練習の際、ビゴ夫
妻と知り会いになった。そして夫人の才能と愛情に心ひかれるままビゴ家にも
足を運ぶようになった。
 マリー・ビゴ(Marie Bigot、旧姓 Kiene 1786〜1820)は1804年、ラ
ズモフスキーの図書係だったビゴと結婚してウイーンにやってきた。その後1
809年までウイーンに居住。
 彼女の非凡な楽才とすぐれたピアノの演奏はウイーン社交界に異彩をはなっ
ていた。老ハイドンも彼女の演奏を絶賛したほど。彼女はまたベートーベンの
ソナタを見事に弾いた。ベートーベンはこう評したという。
 「あなたの演奏は、わたしがこの曲の演奏に表現しようと思った通りではな
いが、しかしそれでもかまいません。わたし自身が不完全だとすれば、その方
がかえってよいのかもしれませんから」と...。
 ベートーベンがある天気のよい日にこのビゴ夫人を散歩に誘った手紙が残っ
ている。1808年のこととされる。もちろん夫のビゴには内緒で夫人に直接
あてたもののようである。
 
 「親愛なるマリーさま、お天気はこんなによいのに−−明日までこのままつ
づくとは限りません。それでわたしは、今日の昼12時に迎えに行って、散歩
に誘おうと思うのです。おそらくビゴは、すでに出かけた後でしょうから、も
ちろんいっしょに行くわけにはいきますまい。−−そうでなくてもビゴ自身は
決してそれを望みはしないと思いますから 彼は抜きにしましょう。−−この
頃は、とくに午前中だけがよい天気なのです。逸しやすいこの機会をにがすの
はおしいようです。−−もしあなたが単なるちゅうちょのために、わたしが楽
しみにしているこの願いを無にするとすれば あなたのように開けた教養ある
マリーさまには、まったく似合わないことだと信じます。おお、いかなる事情
があなたにあっても、わたしの誘いを断ったら、わたしの行いに信任をおいて
ないためだと思います。−−わたしに友誼をもっているといわれても、わたし
はそれを信じられなくなるでしょう。−−カロリーネ(ビゴ夫人の子供)は、
頭から足の先まで布でよく包んで、さわりのないようにして下さい。そしてわ
が親しきMさま、それができるかどうか返事してください。−−それをあなた
が望むかどうかは、あえてききません。−−後者はわたしにとっては、もっぱ
ら不利を意味するからです。ですからヤーかナインの二つ語の中のどちらかで
返事して下さい。ではさようなら。わたしの勝手な頼みではありますがどうか
聞き入れてくださって、あなたがた二人と、さわやかな美しい自然の快楽をわ
かつように、おはからいください。ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」
         −−音楽之友社刊、属啓成著「ベートーベン」より引用
 
 ベートーベンがビゴ夫人からどんな返事をもらったかはわからない。いずれ
にもせよベートーベンの切なる望みはかなえられなかった。それどころではな
い、夫ビゴの嫉妬心を買って予想もしない誤解を招いたのである。それでベー
トーベンはビゴとマリーの二人にあて、−−マリーさま、ビゴさま、純真な無
邪気な気持も往々として誤解されるのを知って、わたしは心の底から遺憾に思
っております−−で始まる実に長々とした手紙を、その誤解を解くべくしたた
めたのである。
 この事件が原因であったかわからないが、1809年にビゴがウィーンを去
った以後その友交は絶えたようである。
 この年、マリー・ビゴはパリに移り、1828年その地で没するまで、はじ
めはアマチユアとして、後に専門家のピアニストとして活躍した。メンデルス
ゾーンも1816年頃、彼女の弟子であったという。
 そしてまた1806年、彼女はベートーベンから雨のしみのついたピアノソ
ナタ「熱情」の草稿を贈られ(というより 雨の中を急いでウィーンに帰りつ
いて、すぐビゴ邸を訪れたベートーベンに懇願してそれをもらったもののよう
だ。ベートーベンは製版後、約束どおり草稿を彼女に贈った)、大切なメモリ
アルとして終生所持していたという。     
 
                     UNCLE TELL
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 ラズモフスキー伯爵(1752〜1836)、ベートーベンの後援者の貴族の一人、
ロシア公使、1792年ウイーンに赴任し20年以上その地に留まった。当時
ヨーロッパにも聞こえた有名なシュパンチッグ弦楽四重奏団を邸内にもってい
た。ベートーベンは、ラズモフスキ−の四重奏団のために作品59の四重奏曲
を書き、これをラズモフスキーに献呈した。ラズモフスキー四重奏曲と呼ばれ
るヘ長調、ホ短調、ハ長調の3曲である。 
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 私は、もうひとつ「千曲川通信」というエッセイメールマガジンを出してい
ます。こちらもぜひ読者になっていただければうれしく思います。「千曲川
通信」とローカルな名前をつけてしまいましたが、話題はあれやこれや、少し
でも琴線にふれるものをと...、毎週水曜日発行しています。
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