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  アンクルのクラシック夜話03       2000/08/11(毎金曜日発行)   
                        uncletell@lycos.ne.jp
 
  クラシックの音楽家や作品のエピソードを中心に読みものとしても
  ポピュラーな話題をお送りします
   
  http://park.millto.net/~uncletell/   
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「ウイリアム・テル序曲」「セヴィリアの理髪師序曲」と ロッシーニ
 
 およそクラシックなんかとは縁がなさそうに見えたおやじのレコードのスト
ックの中にあったのが、このロッシーニの「ウイリアム・テル序曲」とリスト
の「ハンガリー狂詩曲」である。歌謡曲や浪曲やタンゴや他の洋曲、私たちに
買ってくれた童謡に混ざって....。
 もちろん昔々のことだからSP。今のCDやLPならゆうに1枚に収まるだ
ろうに何枚かの組みになっていた。音楽にも飢えていたし、子供ながらにも繰
返し繰返し聞いたものだ。
 <夜明け・嵐・静寂・スイス軍隊の行進>の四部からなる「ウイリアム・テ
ル序曲」、ほんとうに小さい胸をおどらせて聞いたものだ。ロッシーニの序曲
は「セヴィリアの理髪師」などもそうだが、みなすばらしい魅力いっぱいの管
弦楽曲である。
 これらのレコードを聞いたのが、昔なつかしい電蓄である。もう電蓄なんて
いってもわからない人が多いだろう。文字どおり、電気蓄音機の略である。縦
型のボックススタイルで一番上にプレーヤー、真ん中にレシーバー(といって
も、中波だけのラジオ付き)、にスピーカー。むろんまだステレオもFMもな
い時代。それにまだまだ、そこらへんの隅に手回しの蓄音機なんかも残ってい
た頃である。
 おやじがどのような経緯で、はたしていつこの「ウイリアム・テル序曲」や
「ハンガリー狂詩曲」のレコードを買ったのだろうか。そういえば疑問に思っ
たこともないが、今度尋ねてみよう。
 
 ロッシーニはいわずと知れた歌劇作曲家である。が、しかし多作だった割に
は現在、一般に聞かれ親しまれる曲は「セヴィリヤの理髪師」など、残した作
品の多さに比べれば、数少ないな曲という。当時はもてはやされても、一世紀
ニ世紀の時代のふるいにかかってしまう曲、作曲家もあまた多いのである。
 ロッシーニのオペラの多くは、時代に埋もれた存在になっても、その序曲は
少しも光を失っていない。音楽評論家小林利之氏は次のように言っている。
−−簡潔な形式、明るく優美なメロディ、粋でこころよいリズム、そしてロ
ッシーニ・クレッシェンドで高潮するダイナッミクスの鋭いくまどり。ロッシ
ーニの序曲は、才気あふれるこの作曲家のすべてをあらわす充実作ばかりだと
いっていい。最高傑作が快活・軽妙をきわめた「セビリアの理髪師」そして「
ウイリアム・テル」序曲である。華麗な「泥棒かさぎ」や繊細優美な「絹のき
ざはし」いきづまるクレシェンドとダイナミックスの明快な「アルジェリアの
イタリア女」壮大なスケ−ルの「セミラーミデ」など、ほかにも名作はニ、三
にとどまらない −−私も、はじめて赤い盤のエンジェルのレコードで「セヴ
ィリアの理髪師序曲」を聞いたときの印象が忘れられない。
 1822年、ロッシーニは音楽の都ウイーンにやってきた。ウイーンの人々
は同じ都ににベートーベンやシューベルトがいることもまったく忘れ、彼のイ
タリアオペラに熱狂した。
 ベートーベンは、かねてからロッシーニの「セヴィリアの理髪師」を知って
賞賛を惜しまず、自分もイタリア語のオペラを書いてみたいととまでいってい
たともいう。
 ロッシーニはベートーベンの弦楽四重奏曲に感心し、ニ度も会見を申しこん
だが、ベートーベンは応じなかったという。(ある著作にはそう書いてあり、
また別の本には、ベートーベンは丁寧にロッシーニを迎え入れたが、この頃
にはだいぶ聴力が衰えており、互いのドイツ語、イタリア語が理解出来なかっ
たこともあり、会話は弾まなかったとある。そして後日、ロッシーニは回想し
ベートーベンに会えただけで満足していると話したとも。またベートーベンの
汚い部屋に驚いたとも。)なお、1822年は、ベートーベンは、ミサ・ソレ
ムニスやディアベリの変奏曲を作曲していた頃である。
 ある本で読んだことがある。ロッシーニはオペラ一辺搭の作曲家のように思
われているが、室内楽曲、器楽曲もわずか残されていてCDなどにもなってい
るが、それらはかなりのというか、十分過ぎるほどのハイ・レベル、ハイ・ク
ォリティの曲という。
 ローシーニは、そういう方面の曲にも関心も持ち、研究もしていたのである。
オペラは、自分の仕事、商売として、次から次へと興行主からくるめまぐるし
いほどの注文に夜昼、制作に励んでいたのだろう。その一方で、交響曲、器楽
曲、室内楽曲制作へのあこがれのようなものも多分あったのだろう。
 その本の著者はいうのである。ロッシーニが、もし交響曲・管弦楽曲・器楽
・室内楽曲の作曲家であったならば、ベートーベンに肩を並べるような音楽家
になっていたのではないかと..。残された器楽曲から、その片鱗がうかがえ
、また数々の序曲の質の高さからも想像出来るというのである。
                   UNCLE TELL
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 おやじに、ウイリアム・テル序曲をいつどんなきっかけで購入したのか尋ね
る前に、数年前逝ってしまった。
 戦後の生活難と混乱のことを考えれば、戦前、それも戦争が始まる何年か前
だろうと想像している。
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 近年、ロッシーニの音楽も再評価されてきているようですね。インターネッ
トの検索エンジン(LYCOS)を見ていたら、日本ロシーニ協会という団体が
あることを知りました。ロシーニの正当な再評価と普及・PRのため活動して
いるようです。
 
日本ロッシーニ協会のホームページ
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sa2/tsu-obat/test/R.societa.guida.html
 
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 私は、もうひとつ「千曲川通信」というエッセイメールマガジンを出してい
ます。こちらもぜひ読者になっていただければ幸いです。
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