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       「安曇野(あづみの)通信」2015/01/01(毎月1・15日発行)
 
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  甲斐・越後VS信濃と長沼城 

  江戸時代以前、わが信州・信濃の国は大きな”国”であるのにかかわらず、戦国
大名の雄を輩出するとがかなわなかった。山を隔てて盆地が分散するという地形的
な要素もあるが、小笠原にしても村上にしても、群雄割拠して、一族間の争いなど
に明け暮れたりしていて、国を統一する技量の将が出てこなかった。そのため草刈
り場のごとく、甲斐の武田、越後の上杉などに名を成さしめただけというのはくや
しい感じもする。 

 もっとも村上義清は、小笠原長時などよりははるかに大物で、二度までも武田軍
を打ち破り、信玄自身にも大傷を負わせ、相手の武田軍にもかなりのショックを与
えた...。そして村上軍の勝利は、信濃の各領主たちを奮い立たせたといわれる。
しかし謀略・調略を含めた総合力では、とうてい信玄の敵ではなく、ジワジワと真
綿で首をしめられるようにやられていったようだ。そしてついには、上杉をたよっ
て越後に亡命してしまう。
 
 もう少し村上義清がリーダシップを発揮し、信濃の諸将をがっちりかためてから信
玄に敵対し、もうひとあわもふたあわも食わせていたら...。川中島合戦では、武
田と上杉は一応引き分けたということになっているが、その前も後も信濃の状況は、
もう事実上武田の支配下になってしまっていたことのようである。
 
 ところで、カルチャーセンターの歴史講座などを聴いたが、講師の先生の話しで
は、教科書などには書いてないが、戦国時代の戦さは、すざまじかったようである。
略奪暴行・放火、女子供などごっそり連れていかれて売られたりもしたようだ。最近
の研究では、どうも農民達が逃げ込む城というのもあったらしいことがわかってきた
という。戦さは武士同士のものなどとかまえていられない。身をどっかへ隠さなけれ
ばなにをされるかわからない。 
  
 さて本題の長沼城だが、長野市、私の実家のある隣の集落に千曲川に沿って長沼と
いう地積がある。近くに赤沼という集落もあり、文字どおり昔から湿地帯だったのだ
ろう。ここに、今のことばでいえばリストラされた西暦1700年近くまで長沼城と、
小さいながらその城下町があった。地名や突き当たりの多い道路になごり を残こして
いるが、今は一面のりんご畑とその間に散在する農家のみで、城郭の跡らしきものは
なにも残っていない。ただ、地元に当時からあるという妙笑寺に大手門の開き戸が残
されている。 

 この長沼城を最初作ったのは島津氏の一族で、もちろん最初は、土累をめぐらした
程度のものだったろう。島津氏は、長沼を含む太田の庄(荘園)の地頭職として南北
朝期土着したらしい。 

 この城に堀をめぐらし北信濃攻略の要害としたのは武田氏で、伝来の島津氏は武田
支配の間は他へ追われ、上杉支配になってまた立ち戻ったりしたが、この島津氏も結
局のところ秀吉の移封命令により、上杉氏に従い会津に行くはめになった。 

 残された昔の絵図面をもとに、こうだっただろうと描かれた城の図を見たことがあ
るが、栗田城なんかよりはずっと大きく立派な城。でも今は城があったとされる場所
は千曲川の堤防沿い、やや円墓状に土が盛り上がり、ブナかなにかの落葉樹の大木が
3,4本立っている下に、五輪の塔と庚申塔が一つづつたっているだけである。 
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 ベートーヴェン/ディアベッリ変奏曲

 ベートーヴェン晩年の53歳、1923年に作曲したピアノ曲。同じ年に「ミサ・ソレ
ムニス」も完成している。曲名、正確には、「ディアベッリのワルツの主題による33
の変奏曲ハ長調作品120」のようだが、CDのタイトルは「ディアベッリの主題によ
る33の変奏曲」になっている。弾くにも聴くにもとっつきにくく難しい曲という。正直
、私もそうだったが、1回やそこら聴いただけではとうていなじめる曲ではなさそう
だ。それ故か、ベートーヴェンの数ある曲の中で、一般受けせず、良く知られた曲
とはいえないし、ポピュラーな名曲解説の本の中にも登場してこない。

 としても、ベートーヴェンの作曲した20曲ほどの変奏曲の中では最高傑作、
バッハのゴールドベルグ変奏曲と並び立つ、古今の変奏曲の中の名曲とされる。

 この曲の誕生にも有名なエピソードが残っている。1819年か20年、ディアベッリ
という作曲家かつ楽譜出版屋(当時の出版屋には作曲家が多かったらしい)が、
自分の作曲したワルツのテーマを元に、ウイーンのさまざまな音楽家にその変奏
曲を一曲づつ作曲させ、それを集めて、”大勢の作曲家がひとつのテーマを元に
変奏曲を作った興味ある曲集”として出版しようと企てたのである。

 なんでもそのディアベッリの提案に50人ほどの作曲家が応じたようである。そ
の作曲家の中には、ベートーヴェン、シューベルト、そしてわずか9歳あまりの少年
リストも含まれている。もっともベートーヴェンは最初、一瞥だにくれないというか、
何を冗談をと問題にしなかったようである。だから当初発行された曲集にはベート
ーヴェンの作品は載っていないという。

 私が持っているバックハウス盤のCDの解説の石井宏さんによれば、ベートーヴ
ェンとしては、軽い金もうけと考えて、適当にあしらった曲を作って差し出してもよか
ったのである。楽譜の買い手もアマチャーの子女で、石井さんが言うとおり”適当に
甘い砂糖やらスパイスを振りかけて、当世風のお料理に仕立てて....”ディアベッリ
のよこしたテーマもごく軽くて、俗で、陳腐なものだった...、というわけである。

 1822年になって、そのワルツの主題に目を留め、その変奏曲の作曲に没頭する
ようになる。金がほしくなったかもしれないが、音楽評論家青木やよいさんが言うよ
うに、その頃お気に入りのアダージョと同じ音程を見いだし、天啓を受けたようにそ
こに飛びついたものかもしれない。

 そして出来上がったた作品は、33もの変奏を持つ依頼者のディアベッリなど及び
もつかない途方もない巨大な作品に仕上がっていたのである。「ベートーヴェンの正
しい聴き方」(青春文庫・吉成順監修)の著者は次のように言っている。--ディアベ
ッリが作曲した特に何と言うことはないハ長調のワルツ主題がモチーフごとに解体
され、そのひとつひとつが徹底的にかたちを変えて展開し、発展を重ね、次ぎから次
へと変容してゆく。調性も拍子もテンポもころころ変化しながら、変容はどこまでも続
いてゆくのだ。それは一般的な変奏曲と呼ぶには、あまりに奥深く複雑で、まさに音
の万華鏡といった様相を呈している。--

 ベートーヴェン好きの私には、この曲があの不滅の恋人とされるアントーニア・ブ
ンターノに贈られた曲というのも大きな意味がある。ベートーヴェン研究者の青木や
よいさんは、世間や単に聴いた人には理解されない相手のアントーニアにだけにわ
かるいくつかのキーワードを潜ませた作品、ひそかにベートーヴェンから彼女に贈られ
たことばなき遺言だったかもしれないとその著書の中で述べてもいる。

 ウイキペデアの説明に、第1変奏から拍子も変化し、新しいリズムが与えられた。その
後、どんどん新しい音型が登場し、対位法的なもの、瞑想的なもの、短調など、様々に
曲想が変化する。それらはある意味偶然的で気まぐれなものである。しかし、作曲者の
変奏技法を極限までに追求した、集大成の作品である。--とあるが私には難しくて
よくわからない。

 ともあれ、一介の楽譜出版業者だったディアベッリも、ベートーヴェンによりその名を
永遠に留めることになったのである。
                   UNCLE  TELL
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