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クラシック炉辺夜話 2010/04/01(毎月1・15日発行)
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クラシックの音楽家や作品のエピソードを中心に読みものとしても
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バッハ、ケーテン時代と音楽
バッハのフランス組曲のCDを聴きながらこの稿を書いている。このCD、
実は先ほど届いたばかり。グールドのものは持っているので、アマゾンを通し
て、USEDなものだが、アンドラーシュ・シフ(1953〜)のものを購入。
シフは「グール以来のバッハの解釈者」といわれるピアニストである。フラン
ス組曲は、ケーテン時代の1722年頃の作ともされる。第5番ト長調(BW
V816)と第6番ホ長調(BWV817)が、特に有名でいい。フランス組
曲と対のように有名なイギリス組曲も、ケーテン時代の1717年〜1723
年頃の間に、クラヴィーア曲、奏曲、管弦楽組曲、室内楽曲等多数作曲された
出ているから、この時期フランス組曲と前後して書かれたのだろう。
1717年、32歳のバッハはケーテンの宮廷楽長の地位についた。音楽の
良き理解者で、自らも秀でた楽器奏者、バスの美声も持つ領主レオポルド候の
もとで、心おきなく仕事に没頭出来るバッハは、大いに満ち足りた心境で日々
を過ごした。俸給は前任者の2倍という破格の待遇だったし、それも候の臣下
の中では2番目に高かったという話しもある。若いレオポルド候はバッハを、
あたかも親しい友人のように扱ったという。
6年後には、レオポルド候をとりまく状況の変化、自分の子供の教育の問題
等諸事情でケーテンを去ることになるのだが、後年10代半ばのラテン語学校
時代からの旧友のゲオルグ・エルトマンに宛てた手紙の中で、「その地で一生
を過ごすつもりであった。」と述懐している。バッハは、ケーテンの後に移っ
たライプツィヒで、聖トーマス教会のカントルとして、生涯を送ることになる
が、最初はともかく、周囲との関係軋轢等、かなり神経を使いストレスもたま
ることも多々であったようである。それらを含めて振り返ると、ケーテン時代
6年間ほどと短かったが、バッハの人生の中で最も充実していて、幸福な日々
ではなかったか。
先のワイマール時代の音楽作品の主が、オルガン曲と教会カンタータであっ
たとすれば、ケーテン時代は器楽曲・協奏曲・管弦楽曲が中心となった。ケー
テンの宮廷は、教会音楽を重視しないカルヴィン派(改革派)に属していたた
め職務上、教会カンタータを作曲する機会はほとんどなかった。ケーテンの宮
廷の楽団は、その頃解散したベルリンの宮廷楽団の音楽家を何人か迎えドイツ
でも優秀な奏者が集まっていた。バッハはこの楽団や楽員の演奏のためもあり
次々と歴史に残る傑作を多く残している。
6曲の「ブランデンブルグ協奏曲」、3曲の「ヴァイオリン協奏曲」、3曲
の「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」、3曲「無伴奏ヴァイオリンのため
のパルティータ」、6曲の「無伴奏チェロのための組曲」、「平均律クラヴィ
ーア曲集」第1巻等、ケーテン時代はまさに”器楽曲の黄金期”であった。こ
の時期、バッハの音楽は宗教から解き放たれ、明るく秀麗な世俗音楽の大いな
る森を作る。
ケーテン時代に起こったこと、13年連れ添った妻マリア・バルバラを17
20年7月、領主に従い、現在チェコ領のボヘミア、カールスパートに滞在中
に失った。突然の急病による死であった。ケーテンに帰った時はもう埋葬も済
んでいた。12歳を頭に4人の子供が残されていた。バッハのショック、嘆き
はいかばかりのものであったろう。
幸いといおうか、翌年暮れに2番目の妻を迎えた。終生の良き伴侶となった
アンナ・マグダレーナである。彼女はケーテンの宮廷でソプラノ歌手として仕
えていたがまだ20歳だった。バッハとは16歳も年齢差もあり、しかし4人
の子持ち、結婚には相当勇気がいったとも思われるが、音楽家として、また1
人の人間として深く尊敬していたのだろう。その後29年間に、夫の仕事を助
けつつ、ヨハン・クリスチャンのようなすぐれた音楽家を含む13人の子をな
した。2巻からなる「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」が有名
である。
1723年、バッハ38歳、ケーテンの地を去ってライプツィヒは聖トーマ
ス教会のカントルに就任した。なぜ、ケーテンを去りライプツィヒに移ったの
か、その事実を知る資料として、前述したエルトマンに宛てた手紙の中で述べ
ているバッハ自身の言葉によると、第1には、レオポルト公が1721年末に
アンハルト・ベルンブルクの公女フリーデリーカ・ヘンリエッチと結婚したが、
彼女は音楽を少しも理解せず、その影響でレオポルト自身の音楽熱も次第に薄
れていったこと。第2に、息子の教育上、大学のある都市に移りたかったこと。
第3にライプツィヒの申し出た経済的条件がよかったことである。しかし、3
ヶ月も迷いためらい決心がつかなかったことも旧友に告白していて、よほどケー
テンを去りづらかったことが伺える。
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